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藤本タツキのルックバックの感想を書いていたはずが出来上がってしまった俺の話

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ルックバックのネタバレと京アニの事件の話とワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドの話があります。

 

 

 

 

 

 

京アニの事件から昨日で2年になる。一報がニュースに出たときはとんでもないことが起きているなという衝撃だけだった。その次の感情は不安だ。中学以来の友人が勤務していたのだ。

先に書いておくが、友人は生きている。しかしその当時、すぐさま本人へ連絡を取ろうとしたがLINEは既読にならなかった。当時まだ20代だ。友人との死別の経験は無いし、漠然とこれから10年20年と先があると考えていた。波が引いては寄せるように、希望的観測と絶望的諦めが交互する時間だった。後悔と楽観と困惑。

作中での藤野が京本に電話をする描写、そして繋がらない電話。当時の感情を思い起こさせる。

理不尽は唐突に降りかかる。そこになぜは無い。ただ、そこにあるだけだ。

友人は幸いにも無事だった。連絡が取れなかったのは着の身着のままで逃げ出したので連絡手段が全て燃えてしまったからだった。

後日、関西で暮らす友人が東京に来たので飲んだ。俺は友人が生きていたことで嬉しいという話をした。それだけしか出来なかった。彼は事件の話をいくつかしていた。犯人への憎悪もあった。生還への苦しみもあった。現状認識の困難さもあった。

いわるゆるクライシスの渦中にいる友人にとって、俺がした会話がどれだけの意味を持てたのか正直わからない。彼がその後も悩み続けていると言うことだけはわかる。

俺は職業として、専門職として人の相談に関わっているが、彼のクライシスにおける苦しみを軽くすることは出来なかったように思う。

理不尽は何かを徹底的に変えてしまう。そこに個人もない。意志もない。もしも、もない。現実だけがある。

『ルックバック』と『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の類似性について語る感想も見た。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はシャロンテート事件をテーマに、最後にはタランティーノ流の手法で悲劇を無かったことにしてしまう意趣返しをする作品だ。

時間軸を巻き戻して悲劇を回避する可能性が描かれる『ルックバック』も、創作物ゆえのifの提示という点では似ているかも知れないが、本作の場合は最終的には京本がいない現実へと帰ってくる。理不尽はそこにあり、起きた悲劇は残る。

それでありながら、後ろを見ながら、過去の決意を見返しながら藤野は前に進むことを選択する。『ルックバック』はそういった作品なのだろう。

一方、友人はまだ悩んでいる。俺もあの日に変わってしまった何かを戻せずに今に至る。2年という時間は前を向くのに適当なのだろうか。何年が適当なのだろうか、そういった葛藤の中にいる間はどうにもこの作品のラストは飲み込みづらい。

 

語る部分を大きく変えよう。冒頭の藤野の描写、非常に覚えがある。

俺にも創作において書けるという自負を持つ頃があった。藤野が「クラスで一番漫画が上手い」と思うように、人より読める自信があったし、書けると思っていた。

引きこもりの京本について話を振られた時の、藤野の「描く」側の人間である自分は特別であるという自惚れは、なにか創作に関わったことがある人は多く覚えがある感情では無いだろうか。

そしてその先の、京本という自分にない才を持った人間に直面したときの困惑、打ちのめされての挫折。

筆で飯を食うつもりだった。大学もそうして選んだ。大学を出るときに同級生から作家が出たが、俺は何にもならなかった。もう少しもがいてみたが、どうにもならず後輩が在学中に受賞した。

「や~めた……」のその先を俺は歩んでいるし、こうやって未練たらしくしている。

藤本タツキは創作者として快調な道を歩んできたように思うが、創ることへの七転八倒が大変リアルに描かれている。自分を凡人と思う落胆と天才と思う自惚れのピンボールのような自己意識。

藤野と京本でペアになり、快進撃を続けていく様子は、創作者の理想のような道だ。もっとも、藤本タツキという作家にとってはこの快進撃も序盤の藤野の懊悩と同じぐらいリアルな話なのかもしれないが。

 

エンタメとしての素晴らしさがある。創作者に、その道に一度踏み入れた者に刺さる既視感がある。そして、悲劇に負けないフィクションという光を持っている。いくらでも、読み解く余地を持っている。

これらが、発表してわずかな時間でこれだけ語られている要因では無いだろうか。

 

刺される思いがあった。楽しめた。でも、まだルックバックにDon'tは付けられない。

それがこの作品へ思う総評だ。それでも友人に久方ぶりのLINEを送ることが出来たのは、この作品の力かも知れない。