淡々きゅうきゅう

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『ノーカントリー』全ては暴力の前には無意味

ノーカントリー』を見た。

溶接工モスは、ひょんなことからマフィアの銃撃戦の跡地を発見。そこには多数の死体と200万ドルがあった。ヤバい金だろうなと思いながら金を頂くが、当然マフィアは追っ手を差し向ける。追っ手としてやってきた殺人者アントン・シガーは映画史に残る激ヤバ殺人者だった…。

 

テーマとしてはマフィアの金を奪った主人公と追っ手の殺し屋の追いかけっこというよくある話なのだが、この映画自体はなんとも独特。

なによりも追っ手であるアントン・シガーが強烈である。彼と喋る人間は、みんな口を揃えてひと目見てイカれているとわかったと話す。そしてみんなシガーに殺される。

シガーとは交渉も理解も不可能で、ひたすらに彼の中のルールに基づいて人を殺しまくりながらモスを追跡していく。

もはやスラッシャー映画の怪人に近いが、ジェイソンみたいな超越性を見せず、撃たれれば負傷して治療を必要とするし、対面すれば一応会話をするあたり紛れもなく人間だ。

人間であることを全く超越していないシガーが、モラルやロジックを全て踏み越えて淡々と人を殺していく様はもはやユーモラスとも思える。痛そうなシーンや射殺シーンだらけの本作だが、なんだか笑えてしまうし楽しく見れてしまうのだ。

セオリー的な主人公は金を持って逃げるモスなのだろうが、ここまでシガーにばかり言及してしまっているとおり、主人公を食う勢いで印象的だ。

 

観終わってまず思うのは、リアルで空虚でどうしようもない映画と言うことだ。これは映画が悪いという意味では無い。むしろ最高の部類に入る映画だ。描かれている世界が、つまりはこの世は全て理不尽に不条理で、暴力は出会ったら最後ひたひたとつけ回し命を奪っていくということなのだ。

意味深なシーンが多くあり、何が起きていたかの考察が捗る映画であるが、それを読み解いた先に人生訓などはない。暴力の吹き荒れる荒野がそこにあるだけだ。

だが、それがいい。俺は2時間を見た先に教訓も学びも無く、スクリーンから叩き出されるような映画が大好きだ。そこに何もないからこそ、それで2時間を釘付けにする映画というものは神性があり尊いのだ。

そんな神性を感じさせてくれる吹き荒れる暴力、それがノーカントリー